コメから作る酒蔵、西海酒造さんを訪ねて 〜 春

春の田んぼはレンゲが満開!

西海酒造さんの田んぼは、蔵からそう遠くない同じ明石市魚住町金ヶ崎地区にあって、周辺はかなり宅地開発が進んでいるけど、この辺りは市街化調整区域に指定されているので田畑として残されている地域だ。私が最初に訪れた4月下旬頃では、丁度ブロッコリーやキャベツなどの収穫が盛んな様子だった。

 

そして西海酒造さんの田んぼはレンゲが満開。このレンゲはただ綺麗だから植えているじゃ無くて、肥料の一部になるそうです。

西海酒造レンゲ畑 四月下旬の田んぼはレンゲの花が満開

 

所有されている田んぼの広さはおよそ1.3町歩と言いますから約13,000m2あり、酒米はそのうちのおよそ1.1町歩(約11,000m2)で作っているそうです。酒米の種類は山田錦と兵庫北錦の2種類を手掛けています。割合は山田錦6、兵庫北錦4だそう。山田錦は播磨の代表的な酒造好適米なのでまあ分かるとして、基本的には兵庫県北部の丹波市新温泉町(旧浜坂町)でしか生産されていない、珍しい兵庫北錦を生産している由縁をお聞きしたところ、先代の蔵元さんが北部の農家の方とご縁があった関係から現在でも育成しているとのこと。

 

お米の育成では、田植え時期に一部除草剤を使用する以外は農薬を使用しないし、肥料も先の田んぼに生えているレンゲと自家田で生産したお米を自家精米した際に取れた糠以外に使用しないで育てるのだそうです。

西海酒造 糠 西海酒造さん自家製の糠

 

西海酒造 田起こしラクターで田を起こしながら糠を撒いてゆきます

 

酒米山田錦を育てることの難しさ

山田錦という酒米は優れた酒米として知られているけど、その一方で育てるのが難しい稲としても有名です。なぜかというと、山田錦は稲の背丈が高い上に倒れやすい品種なんですね。それに晩稲(おくて)品種なので稲穂が生育してから台風に遭遇する確率も高いわけで、ますます条件が不利なわけです。でも倒れても刈り取るのが難しいだけでは?と思って聞いてみると、そうではなく、山田錦は水が有るとすぐ発芽してしまう性質があって、倒れて水につかったりするとすぐ発芽してしまい、品質が大きく落ちてしまうそうです。だから、良い山田錦米を収穫するには倒さない事が重要なんですね。

西山酒造さんが山田錦を育てる際に、レンゲと糠を田んぼに鋤き込む以外肥料を使わないのは、倒れにくい太くて丈夫な稲に育てる為だそうです。こういったお米作りに関しては、先代から引き継いだ育て方を基に、農学部出身の英一郎さんが種々トライした育成データなどを基に改良してきたのだそうです。しかも蔵の周辺で酒米作りをしている農家は今は無いのでほぼ独力で取り組むしかないそう。大変なご苦労だろうと思うんですが、こういった話をとつとつとされる英一郎さんは、なんだか楽しそうです。

 

西海酒造 田起こし 一週間ほどの内にトラクターでレンゲと糠を田んぼに鋤き込みます

 

西海酒造 田起こし完了 田起こしが完了

 

田起こし作業と並行して、田植えに向けて苗代作りをしますが、それはまた次回紹介しましょう。田植えはおよそ一ヶ月後です。

nihonshu-tourism.com

 

取材させていただく蔵元「西海酒造」さんを紹介します。

清酒 空の鶴 醸造西海酒造株式会社

西海酒造株式会社は享保元年(1716年)の創業ですから、およそ300年の歴史がある蔵元さんで、「空の鶴」の醸造元です。兵庫県南部の、明石海峡大橋日本標準時子午線(東経135度)で知られる明石市の西部、魚住町に在ります。

西海酒造

前回も少し書きましたが、今でこそ米作りに取り組む蔵も多く見られるわけですが、西海酒造さんでは少なくとも現当主の祖父の代から酒造りと共に米作りもされていたそうです。

一般に昔から酒蔵は原料となる米は農家などから購入してお酒を造ります。それは今と違ってお米は先ず主食として消費される必然性からですが、農家と言っても豪農の庄屋さんなどはお酒を造る為の権利である酒造株を購入してお酒を造るケースもあった様です。

残念ながら創業から現在に至る詳しいことは古文書が無くよく分からないそうですが、創業時期が飢饉による酒造制限時期の元禄年間(~1704年)のすぐ後なので、西海酒造のご先祖様は休造していた酒蔵の酒造株(※)を購入して酒造りを始めた豪農だったのかもしれません。などと勝手に想像しています…。

そして西海酒造さんのもう一つの特徴は、自家水田で生産した原料米を全量使用して、さらにそのお米を自社精米する事です。こうしてその水田毎のお米の出来具合に合わせた精米を行い少量仕込みでお酒を醸すという、こだわりの酒造りに取り組んでいる蔵元さんです。

西海酒造蔵元様

九代目蔵元の西海太兵衛さん(写真右側)と栄一郎さん

※:酒造株とは

幕府がお酒に対して課税する為に発行する木札あるいは書類です。これを所有する事で営業上の特権(要はお酒を造って売ることが出来る)が得られるのですが、その一方で消費するお米の量の上限(酒造株高)はその株毎に決められています。新規に取得する事は難しかったので、たくさん造りたい酒蔵は、造るのをやめた人からその酒造株を買って上限を増やしたりしていました。また、新たに商売として始める人も同じ様に休造していた蔵の酒造株を買いました。

 

nihonshu-tourism.com

 

日本酒の個性について考察してみた。

日本酒はどんな酒か?

日本酒はどんな酒かヒトコトで言い表すとすれば、あなたは多分困ってしまうのではないだろうか?私にしてもそうだ。

日本酒の味わいとして甘いとか辛いとか表現される事もあるが、これは本質を表しているとは言えない、相対的なものだからだ。そもそも日本酒とは甘い酒です。あるいは辛い酒です。ってなんか変でしょう?

ワインだったらやはり原料のぶどうを感じさせる味がもともと有って、それがぶどう産地の土壌に根ざすミネラル分などと相まってアルコール発酵した結果、酸っぱかったり渋かったり、あるいは馥郁とした香りを放ったりといった広がりを持った味わいになっていると思う。個人的には。

ビールはやはり主な原料の種類や処理と副原料であるホップ、そして発酵のさせ方で基本的な味わいや飲み口が異なってくるんだろう。

では日本酒は?となると、原料は基本的に米しか使ってはいけない事に決まっているし、(ここでは醸造用アルコールや調味料類は考えに含めない)では米の味はと言うと、確かに比べれば違いはあるかもしれないが、それだけで味を大きく左右するレベルでは無いことは何となく理解してもらえると思う。ただ、味わいの基本としては、米と米麹を基にした何かがあると思う。ご飯とは違う味わいなのだが。

あらばしり

多くの蔵元さんを訪ね、そして色々な日本酒のイベントに参加して数多くの日本酒を味わってきたが、なかなか日本酒はこんなお酒だと説明するのは難しい。それは私の語彙が少ないだけではなく、香味の幅がかなり広いからと言っていいんじゃないかと思う。

一方で、日本酒は戦後のモノ不足の時代から、酒の味わいとして個性をあまり主張してこなかった時代も長くあった。スッキリ綺麗な酒や近年の淡麗辛口と言われる酒がそうで、食中酒として食事を邪魔せず美味しく飲めるのは良いのだが、これらの酒は大手酒造メーカーの抑えるところとなり、地方の中小の酒蔵がいくら良い品質の酒を造っても積極的に選ばれるはずもなく、せいぜいその地元で消費されるだけだから、それ以外の地域の人が口にする事はまず無いし、仮にあなたが、たまたまその地方へ行った時に口にしたとしても、たぶん記憶には残らなかっただろう。

変わってきた最近の日本酒

さてさて、前置きがずいぶん長くなってしまっが何が言いたいかと言うと、日本酒の味は基本的にこんなですと言うと、今いった大手酒造メーカーののベーシックな味わいがそうだとも言えるが、その一方で日本酒の香味の各要素、香りだったり酸味だったり旨味だったりという部分のどこかを特に際立たせて個性を主張する酒が近年、若い酒造家を中心に造られてきている様に思われるがどうだろうか。

若い世代の酒造家たちは、先ずは醸造技術を駆使していろんなタイプの酒を醸していった、そしてその動きは醸造に使用する米の品種特有の個性を生かした酒を醸す方向へと。

でもそれは極端な話、技術があって米が手に入ればどの蔵でも出来てしまうって言う事だとも言える。余程技術力の差が有れば話が変わってくるのは当然だが。

ただ、これらに取り組んでいる中で自身の蔵の強みを発見した蔵元もいた。特A地区の山田錦備前の雄町を使うよりむしろ地元でしか栽培されていない米を使って造っていた酒の方が、差別化されて商品として魅力があったりする訳で、そこに活路を見出している。そんな蔵も増えて来ているのではないだろうか。

また最近では、蔵元が近隣の農家と契約して酒米を栽培してもらったり、更に進めて自ら酒米の栽培に取り組む蔵もだんだんと増えてきており、こういった動きを感じる事から原料米の精米にも興味を持ってきたわけです。

吉川町 山田錦

そして米作りを手掛ける酒造家

自家精米する蔵は結構ある。また、米作りに取り組む蔵も増えつつある。

しかし、米作りから精米、酒造りまで一貫して手掛ける蔵は知らないなという事に気が付いた矢先、たまたま姫路市酒造組合の日本酒イベントでお会いした「西海酒造」さんが米作りから精米まで一貫してお酒を造られている事を知った。

米作りは基本的にプロである農家が手掛けるのが普通だが、この蔵元は米作りもプロというか酒造りを知った上での米作りのプロであって、そこには自分の作った米を自分で精米するという、農家でも酒造家でもやらない事に長年取り組んでいる精米のプロであって酒造りのプロということなわけだ。

これはそれぞれの立場を有機的に理解するチャンスと思い、米作りから酒造りまでの一年間を取材させて頂きたいとお願いしたところ、幸運にも立ち会わせて頂けることになりので、密着レポートしていこうと思う。

日本酒と和菓子とのマッチングを初体験!

日本酒と和菓子のコラボレーション⁈

日本酒とその蔵元を紹介してゆくポータルサイトのエディターブログ最初の記事投稿ですが、いきなり変化球ですみません。

さて皆さん、日本酒を飲むときには何と合わせますか? やはり辛い味付けのおつまみと一緒に、あるいは食中酒としてでしょうか?
今回ご紹介するのは、甘い和菓子と日本酒のコラボレーションです。

今月初旬、和菓子×日本酒が恋に落ちるペアリングを開発せよ!という、カリフォルニア在住の日本文化キュレーターである君野倫子さんのイベントに参加してきました。
和菓子も日本酒も当然日本で生まれたものですが、甘党の代表の和菓子と辛党の代表の日本酒は果たして合うのか⁇

今回の企画には、
参加したのは、主催者の君野さんと塩芳軒のご主人と丹山酒造の蔵元さん、そして日本酒あるいは和菓子の好きな18名の老若男女。中には、あまり飲めないと仰るご婦人も。

塩芳軒外観塩芳件内観1塩芳件内観2

左から、塩芳軒のご主人と主催者の君野さんと丹山酒造の蔵元さん

前のお酒は左から、純米低アルコール酒の飯櫃(ぼんき)、純米吟醸原酒の風神雷神純米大吟醸の雪月花 嵐山。
飯櫃は、甘酸っぱい味わいでスッキリした味わい。風神雷神は、ヨーグルトの様な上立ち香の旨味の濃い通好みの味。純米大吟醸は、ほのかな吟醸香を感じる上立ち香だがテクスチャーはやや強めでスッキリ綺麗なお酒。

塩芳軒のお菓子

合わせるお菓子は、
梅鶴(このお菓子は塩芳軒の定番品で、ほんのり梅の味わいの塩味を感じる砂糖菓子)
飯櫃

麩の焼き(千利休が茶会で愛用した白あん風味のクレープを巻いた様なお菓子。今回は日本酒に合わせて甘さを控えめに、歯ごたえを持たせるためにやや固めに仕上げたそう)
麩の焼き

かるかん(ご存知のかるかんですが、大徳寺納豆をいれたものと柚子風味のもので、やはり甘さは控えめに仕上げています)
かるかん

今回のマッチングの結果は如何に⁇
結果は来年の春には新商品として紹介されるそうなので、残念ながらここではご紹介できませんが、組み合わせをキチンと考えれば、日本酒と和菓子は意外と合うんだという事が分かったのは、新しい発見でした。(何となく餡とは合う様な気はしていましたが)
フレンチの食後酒にブランデーやアルマニャックを、イタリアンではリモンチェロとか、バーで飲んだ仕上げにオールドフェッションドなど、最後の仕上げに甘いものが欲しくなりますよね。日本酒での仕上げに和菓子とのマッチングもあり!

お米を磨くお話 (酒米の精白)後編

昔の精米方法

前回のコラムで紹介しました様に、明治時代半ばまでは主に人力による精米が行われていました。灘五郷など一部地域で水車精米で低い精米歩合(それでも現代の水準では標準的な70%程度です)のお酒を造る例はありましたが一般的とは言えなかったのです。その頃の精米は、人力にせよ水車を利用するにせよ、臼に玄米と石粉を混ぜで臼で搗くやり方で、現代の酒造用精米で使われている米を削る(磨く)タイプではありませんでした。

水車精米小屋内部 水車精米小屋(菊正宗酒造記念館)[/caption]

竪型精米機の開発

1896年(明治29年)に現在に続く精米機メーカーを興した佐竹利市氏が初の動力式精米機である連打式臼型搗米機を開発した時から機械による精米が始まりました。しかし未だ名前の通り、従来の臼で搗くタイプのままです。

その後同社において1908年(明治41年)に竪型精米機の原型になる竪型研削式精米機が開発されました。これによって初めて吟醸酒が生まれたと言われます。そして1930年(昭和5年)に現在の竪型精米機で使われる金剛ロールを使用した竪型精米機が開発され、40%の低精白歩合が可能になり現在に至っています。

新中野工業さんを訪問しました

現在では竪型精米機は、上で説明しました株式会社サタケと新中野工業株式会社の二社が製造していますが、この度、新中野工業工業さんへ訪問させて頂き、お話を伺ってきました。

新中野工業 玉野精米所

新中野工業さんは精米機でも酒造用精米機とその関連設備を製造しています。また自社の精米機を使用した受託精米も行なっている、酒造用精米専業の会社です。受託精米ではその品質から全国の名だたる酒造会社から精米を受託されています。

工場は岡山市西大寺の本社及び岡山県玉野市兵庫県篠山市にあり、本社工場では精米機などの生産、玉野工場と兵庫工場では受託精米を行なっています。特に兵庫工場は山田錦の一大生産地に隣接しているので、山田錦専門の精米工場になっています。

竪型精米機とは何か?

竪型精米機とは文字通り縦方向にお米が送られて精米されるのですが、飯米の精米機と大きく異なるのは、ロールと云う砥石でお米の表面を削って精米する摩擦精米であるところです。飯米の精米機は粒々精米と言い、米と米の摩擦で精米を進める方式で光沢のある綺麗な表面に仕上がる反面高精白には向いていません。竪型精米機は削る時間や回数を変える事で、精米歩合や精米による米の形をコントロールする事ができます。

昭和初期の竪型精米機 昭和初期の竪型精米機                        

新中野工業 玉野精米所所蔵)

上の写真は昭和初期の竪型精米機ですが、構造は現代のものと基本的に同じです。じょうご形状の下の辺りにロールが入っていて、米が上から下りてきてここで表面が削られて行きます。

金剛砂ロール

新中野工業 玉野精米所所蔵

ロールの形は上のの様に重ね餅の様な形状になっていて、表面には金剛砂と呼ばれる研磨剤が付いています。なので、これを金剛砂ロールと言います。

酒米の精米は大変

酒米は一度に目標の精米歩合まで削ってしまうのではなく、何度も循環させて目標の精米歩合まで削って行きます。

例えば精米歩合50%まで削る場合、米の種類などにもよりますが300回くらい循環させるそうです。なので、所要時間も24時間~34時間位掛かる事になります。さらに精米さらに精米歩合を下げて35%まで削るとなると72時間も掛かるそうです。これは真中に心白があるため砕けやすくなるので、さらに時間がかかる為です。

山田錦 玄米 35%精米

上が山田錦玄米、下が同精米歩合35%

お米を研磨して削ると言うことは、当然お米に負荷がかかる事になるので、一概に酒造好適米と言っても品種によっても高精白に適した品種とそうでない物があります。

酒造好適米には新白というデンプン質の粒密度の粗い部分が有りますこの心白の形状や大きさによっては精白が難しいものがあります。現在酒造好適米の代表とされる山田錦では線状心白なので米が砕け難く高精白に向いていますが、やはり酒造好適米として有名な雄町は心白が大きく高精白が難しく向いていませんが、全く出来ない訳では無く、時間をかけて慎重に精米を行えば可能ですが、大変な労力と技術が必要になります。

また、同じ品種のお米ならば同じ様に精米できる訳ではありません。精米する際にこの負荷に耐えられずに米が割れてしまう事があります。この様な米は形がバラバラで破米と言い、吸水がバラつくために通常はお酒の醸造には使用されません。ですから破米の割合が多いと同じ量の玄米から取れる白米の量が減ってしまいます。これは、稲を刈り取った後の乾燥などの処理のやり方によって大きく影響が出る事がわかっており、そのため有力な酒造米生産農家では稲の育成だけでは無く出荷までのもみの処理についても工夫を凝らしています。

破米

新中野工業さんでは、酒造米生産者の方々に対してこの様なデータをセミナーなどで紹介し啓蒙するなどの活動に取り組まれているそうです。

日本酒はお米から造りますが、ただ米から造ると言うのではなく、この様にして優良な籾を高度な技術で精米した米を素材とする事で今、私たちは吟醸酒大吟醸酒を楽しむ事ができる様になったという訳です。いかがでしたでしょうか?

新中野工業さんの受託精米では、籾の受け入れ異物の除去、酒造会社の要望に合わせた精米歩合や形状に精米し、不良米の選別などを行なった上で米の精米前後の分析値をつけて出荷されているそうです。

現代の竪型精米機

現代の竪型精米機
新中野工業 玉野精米所)

 

千葉県の蔵元さんの復興を、千葉のお酒を飲んで応援しよう。

台風15号そして先日の17号で被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。

千葉県の蔵元さんも台風によりかなり大きな被害を受けられたところもあります。台風の被害が癒えておりませんが、復興の意味を込めて、10月6日(日)、東京交通会館で開催予定の「千葉の酒フェスタ2019」を予定通り開催されるそうです。

千葉のお酒を飲んで、蔵元さんの復興を応援しましょう!

参加予定の銘柄を以下に紹介します。(順不同)

甲子・長命泉・旭鶴・峯の精・福祝・飛鶴・東魁盛・聖泉寿萬亀・稲花・腰古井・鳴海

木戸泉・岩の井・舞桜・越乃寒菊・東薫・不動・仁勇・勝鹿

 

以下、千葉県酒造組合様のH.P.より引用させて頂きました。

千葉県酒造組合 台風15号被害1

千葉県酒造組合 台風15号被害状況2

がんばろう! 千葉

この度の台風15号・17号で被災されました皆様に、心よりお見舞を申し上げます。

さて、千葉県内の酒蔵につきましては、被害の全容がまだ完全には把握できておりませんが、多くの蔵元が被災している状況です。また、一部の地域では停電も続いており、各蔵・酒造組合ともお酒に関するお問合せや出荷等に対応出来ない場合もございますので、予めご了承ください。

また、こんな時だからこそ地元企業として、地域と手を取り
活活性化させる存在として、【がんばろう! 千葉】を合言葉に、組合員一同、復旧と今期の酒造りに全力で取り組んでいく所存です。

まずは、千葉の地酒を皆様のお手元にお届け出来るようにすること。

そして、毎年秋に千葉の地酒を皆様に味わっていただく『千葉の酒フェスタ2019』を復興の意味も込めて、予定通開催することとしました。

10月6日(日)、東京交通会館で千葉の地酒をご用意して、皆様のご参加をお待ち申し上げております。

千葉の地場産業の復興に、ご理解・ご尽力を賜りますようお願い申し上げます。

千葉県酒造組合
会長 大塚 完

お米を磨くお話 (酒米の精白)前編

現代のお酒は諸白つくり

日本酒はお米を原料に造りますが、現代のお酒は麹米も掛け米も精米した白米で醸造する諸白つくりです。江戸時代以前の昔はお米を精米するのは大変でした。ですから昔は、麹米・掛け米の片方だけを白米で仕込む片白つくりが一般的だったようです。

昔はどうやって精米していたのでしょう?

お米を精白するには、昔は石臼に籾殻を入れて人力で足踏み精米を行なっていました。ですから当時の記録から推定すると、白米とは言っても現代のご飯の白米(精米歩合90~93%)よりずっと玄米に近い97%くらいであったそうで、そのうえ人手も掛かりますから造り酒屋さんには「硯屋」と呼ばれる専門の職人グループが居ました。

しかし、江戸時代の灘目(現在の灘五郷、兵庫県神戸市海沿いの東部から西宮市にかけての酒造地帯)では背後の六甲山の急流を利用した水車精米が行われたので、それにより遥かに高精白の75%前後であったそうです。そのため当時としては雑味の少ないスッキリ辛口のお酒を造ることが出来ました。それが江戸の人たちの人気を得た事と、精米の生産性が飛躍的に向上したので大量のお酒の生産が可能になった事が、灘酒が発展した要因の一つとされています。

この様に、お酒の原料であるお米の前処理によってお酒の品質や味わい、更には生産性まで影響してしまうんですね。

唐臼

足踏み精米機、唐臼ともいう

(沢の鶴酒造記念館所蔵)

どうして酒米の精米するのでしょうか?

お米の表面には籾殻が有るのはご存知の通りですが、籾殻を取り除いた状態が玄米になりますね。お米は胚芽と表面付近はタンパク質や脂質、灰分などの栄養の多く含まれています。でもこのままだと発酵が強くなり良い酒質のお酒を造るのが難しく、いわゆる綺麗なお酒を造るのには向かない為、お米をさらに削ってゆく必要があるのです。特に大吟醸酒や純米大吟醸酒ではお米を半分以上削ってしまいます。逆に削る量を少なくする事で味わい深い個性のあるお酒にもなるわけです。

よく耳にする「精米歩合」とは、お米を削った残りの割合のこと

お酒の説明をしてもらうと、よく「精米歩合」という言葉を聞く事がありますが、これは精米した結果残ったお米の部分になります。ですから削った部分は糠(ぬか)になります。ここはお酒造りには使いません。

糠は表面から近い部分から赤糠、中糠、白糠、上白糠と呼ばれ、赤糠と白糠は飼料や漬物用に、白糠と上白糠は米粉とも言われ下の絵ですと胚乳の部分も削ってゆきます。これらはお菓子づくりなどに利用されています。

玄米の図

精米歩合(%)=精米後のお米の重さ➗玄米の重さ✖️100 

【 ひとこと 】日本酒のラベル表示にはありませんが説明の中で時々使われる、「精白率」は精米歩合とは逆で削った分を言います。なので、「精米歩合が低い」は「高精白」となります。ややこしいですが … 。

山田錦玄米

山田錦玄米

山田錦 精米歩合40%

 

お米の種類によっては精米歩合を低くするのはムヅカシイ!

酒米、特に酒造好適米の中心付近には心白というお米を透かして見たときに白く濁って見えるデンプン質の粒密度の粗い部分が有ります。心白が有ると麹菌が中心まで入りやすく良い麹ができますが、その一方心白の部分は脆く割れてしまうので高精白には向かないというわけです。

例えば代表的な酒造好適米である「山田錦」はもちろん心白ができますが大き過ぎないので高精白に向いていますが、その一方でこれも有名な酒造好適米の「雄町」は心白が大きく割れやすいので高精白には基本的には向きませんが融けやすく、杜氏さんはそのお米の特性に合わせて個性のあるお酒を造っているのです。 

《後編に続く  f^_^; ) 》

nihonshu-tourism.com


nihonshu-tourism.com